Archive For The “Exhibitions” Category
2006年7月15日~30日
1948年佐敷町生まれ。琉球大学美術工芸科卒業。7年間の美術教師の後、87年から現代美術の創作活動に全精力を傾けた渡名喜元俊。「老婆の草むしりのように仕事をしたい」が口癖だった。団塊世代の象徴的美術家と言ってよいだろう。「反体制」「反芸術」は彼の表現の核になっていた。ミニマルからコンセプチャル、更にローテクアート、最後はコンピューター内部のバーチャルアートに行き着いた。不運にも三年前(2003年)、急性白血病で世を去った(享年54才)。ピュアな精神主義者で、現実の芸術生活は真剣かつ壮絶であった。今展は故渡名喜元俊氏の美術活動の足跡をたどり、追悼する企画展となりました。
フランク・ステラ展
2006年5月13日~28日
移転後初の企画展は現代美術の巨匠フランク・ステラ(1936年~)の作品「ザ・ウェイヴス」シリーズを中心に初期のミニマル作品(60年代)を含め展示致します。
幸地学展 -水彩と版画-
2004年9月14日~20日
1954年那覇市生まれ。パリを拠点に活動し、世界各地で作品を発表、活躍するアーティスト。今回は新作水彩画15点にくわえ、これまでの版画作品を展示。沖縄リウボウ美術サロンにて開催。
幸地学展 -形と色が共演する絵画と彫刻-
2003年9月9日~21日
1954年那覇市生まれ。幸地は今回の個展について「形と色がそれぞれに充実し、その存在をはっきり主張し、両方がどちらにも頼らず自立した共演をし、隙間もないほど共存の調和を見せているように思います。それらはどちらとも主体にも客体にもなり、色が形を必要としたのでもなく形が色を必要としたのでもない、どちらも明解にその価値を発揮し、そして極限の共演をしているように思います。僕が彫刻と絵を徹底して僕のものにしてきたことが、いつの間にか僕の表現の中でこういうことを実現してきたのだと思います。まだまだ表現の旅は続きますが30年間の仕事の一つの結晶、一つの過程を作ったものと思います。その意味で実に充実感を感じる次第です。」とコメントを寄せている。
セレクション展
2003年1月14日~31日
■展示作家作品
山城見信・粟国久直・与那覇大智・幸地学・草間彌生・彦坂尚嘉・川俣正・青木野枝 李大純(中国)・李禹煥(韓国)・Kostabi(米国)
島袋常秀展 -琉球モダンな器たち-
2002年11月19日~30日
島袋常秀展によせて
渡名喜明(となきあきら)
-中略-島袋さんは300余年の歴史を持つ陶芸の産地・壺屋の出身で、「壺屋焼」の現在を担う陶芸家である。精緻で端正な作品の作り手として知られた父・常恵氏の確かな継承者でもある。一方で、島袋さんは沖縄県立芸術大学の教授として沖縄陶芸界を牽引するとともに、「新しい陶芸」を目指す若者たちに指針を示す公的立場にもある。島袋さんが置かれている二重の立場は、歴史を踏まえつつ、なお時代を超えた〈用と美〉の普遍性の追求に島袋さんを向かいあわせているかに見える。そのような立場にあるのは、島袋常秀さんだけである。-以下省略-
韓国版画展 -韓国現代美術の先駆から新世代-
2002年9月17日~29日
韓国現代版画展によせて
加藤義夫(かとうよしお/インディペンデント・キュレター)
本展で紹介する韓国現代版画の作家たちは、韓国の現代美術のパイオニアたちとそれ以後の若い世代の作家たちだ。-中略-特に、イ・ウーファンは、1956年に日本に移住し日本の現代美術史に残る「もの派」を打ちたてた作家で批評家としても著名な人物だ。東洋哲学を基礎とした世界観が高い評価を得て、近年はヨーロッパの美術館で次々と個展を開催し、世界のイ・ウーファンとして活躍している。-中略-韓国の若い世代の作家たちは、版画を単なる複製芸術として扱うのではなく、また技法に縛られることなく「メディア」としてとらえているところに表現の可能性を感じる。-以下省略-
粟国久直展 -Diagram/Cube-
2002年7月16日~28日
美しき迷宮
山本秀夫(やまもとひでお/美術評論家)
-中略-粟国の作品と対峙するとき、さまざまな意味で、自らが関わる時間性を問われているような思いにかられる。「作品に内包化された時の流れ」が、私たちに問うのだ。「あなたにとって、時とは何か?あなたはどのような時の流れに、身を置いているのか」と。私たち自身、内包化された時の流れに身を委ねているが、それは、生命体としての私たちの根の事柄である。物質は、永遠の旅をしているが、生命体は、世界の連関の中で、時の流れに従って、その物質の不思議な集合体(結び目)として、存在する。粟国の作品は、こうした生命体のありようと、同定する構造によって、成り立っている。これが、粟国の作品の最大の謎である。時間の内包化は、そのひとつの現れにすぎない。-以下省略-
名嘉睦稔展 -野の魂へ誘う異才の画家-
2002年5月14日~26日
名嘉睦稔・カミとヒトのあいだ
松山龍雄(まつやまたつお/季刊「版画芸術」編集長)
-中略-表現とか作家の個性などという価値観は、たかだか「近代芸術」の生み出した価値尺度でしかない。いささか大げさに言えば、睦稔の背負っている世界は「近代」という時代概念を越えている。言ってみれば睦稔という作家はカミとヒトの世界をつなぐ境界上に位置するシャーマンのような存在なのである。だからといって、睦稔を怪しげな神秘主義やアニミズムに押し込めようというのではない。少なくとも神智学にかぶれるカンディンスキーやモンドリアン以上に、睦稔自身の体内にはカミや霊のエネルギーを宿しているのである。-中略-睦稔は鳥や魚の声を聞き、サンシン片手に謡い、版画を彫る。「芸術」などという狭苦しい枠組みを離れて、古代から現代へ、沖縄から世界へとまさに時空を越えて、人間の原点をメッセージできるおそらく最後の作家なのだろう。
内間安せい展 -米国で花ひらいた沖縄移民二世の画家-
2002年3月15日~31日
内間安せい遺作展に寄せて
針生一郎(はりういちろう/美術評論家)
内間安せいは沖縄出身移民の二世として1921年カリフォルニアで生まれ、両親のすすめで日米開戦前早稲田大学に留学して建築を専攻した。-中略-戦後恩地幸四郎に浮世絵の伝統をうけつぐ創作版画の道を啓示されて日本にとどまった。-中略-内間自身の個展をはじめ画廊でよく顔をあわせたが、彼はいつも内省的で寡黙だった。内省的なのは同世代のイサム・ノグチなどと同様、日米の文化を深く知れば知るほど、間に横たわる太平洋を容易にこえられないせいだ、とわたしは推察した。
制作上では東洋と西洋を様式としてとらえて綜合しようとするが、やがてそれにあきたらず伝統技法の精髄を体得して普遍的な表現にむかう。-中略-60年代の抽象表現主義を経て、70年代には浮世絵でも錦絵の技法をうけつぐような、多彩な色面のモザイク的構成による「視覚ダンス」と名づけた、《森の屏風》シリーズで空間を複雑に生動させる円熟に達した。80年代に入ると、版木8面、水彩で生漉奉書に作家自刷り45版という精巧さで、一品制作と同様にAP(作家試し刷り)の部数だけ残した。その間、サラ・ローレンス大、コロンビア大で教職につき、作品は全米主要美術館に収蔵されているが、日本では東京国立近代美術館にしか入っていない。きびしい内省と真摯な探求にみちた内間の遺作が、だれよりも沖縄の人びとに再評価されることを切望する。