Archive For The “Exhibitions” Category
2002年1月15日~27日
光、満ちる空のむこうへ
鷹見明彦(たかみあきひこ/美術評論家)
中略-与那覇君の作品をはじめて観たのは、3年ほど前、コンクール(第3回アート公募 1998)の審査に際してでした。今日にいたる「光の匂ひ」のシリーズの初期作でしたが、-中略- 一見して、20世紀後半を代表するドイツの画家、ゲルハルト・リヒター風のフォトペインティングの影響をまともに受けた作風でした。すべての面で現代という時代に絵画を制作する根拠を問う地点から厳密に作品を構築しているリヒターのような存在に対して、正面から向きあうのは、Jリーグのチームがワールドカップに出場するようなものですが、多くの情報とメディアに囲まれたこの時代にあえて絵を描くことを選択したというなら、本来避けては通れないはずの巨きな山なのです。与那覇君の作品からは、表面的な、あるいは方法的な模倣の域にとどまらずに、絵を描く行為自体へのフェティッシュともいえる陶酔がむしろ時代錯誤なまでに伝わってきました。その際どい放熱のバランスによって、絵画以外の様々な形式の作品とも競うコンクールで準大賞を得ました。
-中略-光自体を描こうとする行為には、背理がありますが、そうでありながらそれを成そうとするところに人間という存在の本質と憧憬があるのは、イカロスをはじめとする多くの神話が物語るとおりです。時は移っても、光に愛でられた南島に還る光の絵画があることは、何時も鏡を作ろうとして専心した懐かしくも初初しい人びとの環があった事実を思い出させもするのです。
幸地学展 -現代と琉歌がクロスする幸地ワールド-
2001年12月6日~16日
幸地学の世界-連鎖するイメージ-
翁長直樹(おながなおき/県立美術館学芸員)
図像は幸地にとって作品の中心をなすきわめて重要なファクターである。空間の中のモチーフではなく、すべて物=かたちは生命を持ち、生命間のエネルギーが空間を事後的に作っていく。幸地の絵画は現代美術の最先端を開くというのではないが、磨かれ、開かれたかたちと豊かな色彩によって、われわれが幸地の作品を観ると生命や宇宙の讃歌に浸されることになるのである。
-中略- 幸地の今回のテーマに日本や沖縄の俳人や歌人たちが選ばれた。それらの人々の遊行や言葉が連歌のように虫や機械の声のようにこだまする。その生命讃歌の享受は、この時代だからこそ尊い。
20年を駆けめぐった作家たち展 -天久新都心移転企画展-
2001年7月3日~22日
暑中お見舞い申し上げます。お陰様で、画廊沖縄は今年で創業20周年を迎えました。これも偏に皆様のご支援ご愛顧の賜と、深く感謝致しております。この節目を機に、現在の泉崎から天久新都心へ画廊を移すことになりました(11月)。移転に因んで、これまで画廊を賑わしてきました作家たちの作品を集め、特別企画展を開きます。
李恵園 -韓国の女流彫刻家-
2000年11月20日~12月3日
昨年のベネチアビエンナーレ、NICAF TOKYO、光州ビエンナーレなど、韓国の現代美術が目を引いている。李恵園は1958年ソウルに生まれ、国立ソウル大学で美術を学んだ後、米国に留学した女流彫刻家。現在は韓国に住み、自国をはじめカナダ、米国、日本で作品を発表し活躍中。李氏のオブジェ作品群は神秘的で美しい。素材は金属の錫で出来ているが、静謐で温かく気品があり、まるで李王朝の白磁の美しさに触れるようだ。
金城明一展
2000年10月20日~29日
島のてっぺんで深く息をすれば空は高く澄み、海も又けたたましい程の青その青の歓喜の中で静まりかえる午後漁夫や農夫は自ら仕事に倦むのだろうかフルフルと緑をゆらす風を浴びながら私は20年来の画材をタジラシケース 宮城島池味にて (明一)
金城満展 -シリーズ「鉄の座標」-
2000年9月22日~30日
様々な暴力。今世紀のそれは「鉄」か。次世紀、カタチを変え新たな座標を這うのか。「電子」が這う座標、…何を産むのか。
前田比呂也展 -いまここにいること-
2000年8月18日~27日
クールなモノトーンタッチで塗り重ねられた漆重層化した構造(現実)の内部から生態の息吹が立ち現れる。目線を横切る深く反転した図像は、不安な未来を暗示しているのか。
幸地学展
2000年6月13日~25日
昨年10月、アートパリ展(ルーブル美術館地下)で注目を集めた30点余の幸地学のブロンズ彫刻。あのブロンズ達がカラフルな色彩をまとい、絵画になってやって来た。未知なる創造の世界を旅し続けるKOCHIにご期待ください。