2002年3月15日~31日
内間安せい遺作展に寄せて
針生一郎(はりういちろう/美術評論家)
内間安せいは沖縄出身移民の二世として1921年カリフォルニアで生まれ、両親のすすめで日米開戦前早稲田大学に留学して建築を専攻した。-中略-戦後恩地幸四郎に浮世絵の伝統をうけつぐ創作版画の道を啓示されて日本にとどまった。-中略-内間自身の個展をはじめ画廊でよく顔をあわせたが、彼はいつも内省的で寡黙だった。内省的なのは同世代のイサム・ノグチなどと同様、日米の文化を深く知れば知るほど、間に横たわる太平洋を容易にこえられないせいだ、とわたしは推察した。
制作上では東洋と西洋を様式としてとらえて綜合しようとするが、やがてそれにあきたらず伝統技法の精髄を体得して普遍的な表現にむかう。-中略-60年代の抽象表現主義を経て、70年代には浮世絵でも錦絵の技法をうけつぐような、多彩な色面のモザイク的構成による「視覚ダンス」と名づけた、《森の屏風》シリーズで空間を複雑に生動させる円熟に達した。80年代に入ると、版木8面、水彩で生漉奉書に作家自刷り45版という精巧さで、一品制作と同様にAP(作家試し刷り)の部数だけ残した。その間、サラ・ローレンス大、コロンビア大で教職につき、作品は全米主要美術館に収蔵されているが、日本では東京国立近代美術館にしか入っていない。きびしい内省と真摯な探求にみちた内間の遺作が、だれよりも沖縄の人びとに再評価されることを切望する。