Archive For The “Blog” Category
旧HPでは「画廊ノート」(画廊主のつぶやき)として画廊主の立場から、沖縄美術界の事や、個人的な業界人としての発言を掲載してきました。HPの刷新を機会に、未掲載の「画廊主のつぶやき」,日常のぼやきをブログスタイルで載せたいと思います。(2016.6.6)
※掲載の画像(銅版画)は1989年ごろパリのサンジェルマン画廊街で購入したもの。タイトルの明記もなく、作家名だろうか、右下側に「w.strang」と刷り込まれている。Webで調べてみると、1859年英国生れ、ウイリアム・ストラングという画家で1921年死去とある。ポートフォリオ「Potato Lifting」(1882年)として制作された銅販画のようだ。収穫したジャガイモ籠を背に、裸足で働く二人の女。後方には木陰で管理者のらしき男にひざまずく二人の女、何やら懇願している様子。フランスを初め、前近代のヨーロッパ社会の農村風景だろうか。「男尊女卑」の象徴的な印象を受ける。現代でこそ、男女同権、平等の社会が普通に語られるのだが、1787年絶対王政に対して市民が反旗を振りかざし革命を起こしたフランスでさえも、女性に選挙権が与えられた(獲得した)のは第二次世界大戦後(1945年)だ。日本も戦後のことである。一方で、北欧や英国、米国は1920~30年代に参政権が与えられたという。ウーマンリブ、ジェンダー、フェミニスムと流れがあるが、ノルウェーや北欧が先進して制度化した「クォータ制」(政策決定の政治の場で男女の性差が無いように男性および女性の議員が全体の40%を下ってはならない・・)の流れがある。女性と男性がほぼ同数の議員の下で行政が進められたら・・未来は希望の社会となるのか。近代ヨーロッパの時代の一瞬をとらえた作品である。
琉球美術独自の文脈を
本稿で当コラムの担当は最後となる。(略)・・・この島(琉球列島)の抱え込んだ独特な歴史や状況を想えばこそ、中央(東京)文脈のフィルターをはずし、独自の「琉球・沖縄の美術」文脈があってもよい。そうすることで・・・この琉球列島の地下水脈に流れ続ける「何か」と「未来像」に触れることが可能かもしれない・・・(略)沖縄美術界の「進化」 「発展」を願いたい。「期待」と「希望」をこめて。
学芸員の育成重視を
先月11日に終了した県立博物館・美術館の「印象派の誕生」展、4万人を超える入館者があったという。・・・(略)ところで、あの騒がしかった「県立博物館・美術館長の就任人事問題」はその後どうなったのであろうか。・・・(略)芸術学を修めた若き研究者たちはどこへ行ったのだろうか。・・・(略)
実像記録する重み
先月11日に終了した県立博物館・美術館の「印象派の誕生」展、4万人を超える入館者があったという。・・・(略)ところで、あの騒がしかった「県立博物館・美術館長の就任人事問題」はその後どうなったのであろうか。・・・(略)芸術学を修めた若き研究者たちはどこへ行ったのだろうか。・・・(略)
安谷屋 正義展/その表現と思想 ■中
新時代の造形芸術探求・・・ 内面と「沖縄と戦後、戦争」を重ねて問う・・戦時中は南方へ日本軍輸送船の指揮官として戦地へ・・・・安谷屋は代表作「望郷」に戦前の兵士として戦場へ赴いた自己と重ねたに違いない・・・
1.戦後美術けん引
2.自立への強い意志
3.厳しい時代直視
壊された美術遺産
昨年、米軍普天間基地の移設問題で沖縄は大きく揺れた。知事選で「県外」の民意が示されたにもかかわらず、進展する様子はない。・・・(略)今になって「琉球政府立法院議会棟」が大切な沖縄史の「モニュメント」として思い出される。市民の保存運動が展開されたが、当時の県政の取り壊しは罪なことだったと思う。本土から来る観光客のコースに入れたら、ヤマト人の沖縄認識は根底から変化したにちがいない・・(略)
戦後65年の記憶と溝
8月15日終戦記念日、佐喜眞美術館開催の「骨からの戦世ー65年目の沖縄戦 比嘉豊光展」のシンポジウムへ足を運んだ(略)・・・・会場の壁中央の作品は、地中から表出した頭蓋骨が・・・(略)。撮影した写真家の比嘉氏は「私は撮ったのではなく(彼ら)撮らされた」と語った。(略)・・・傍観者の域を超えられない内容のトーク(略)・・・言葉のむなしさ。・・・・展示された痛ましい姿の写真との落差は禁じ得ず・・・・もどかしさと強いストレスを覚えた。(略)戦後65年の記憶と史実の深い溝に沈む問題は、・・・・(略)「戦と人間」「ヤマトと沖縄」重たいテーマのボールがヤマトへ投げられた。
挑発する沖縄アート
連日「普天間基地問題」の文字が紙上で躍り、新聞のページを開く気になれない。(略)・・・果たしてこのような状況下で、アートはどのように機能しているのか。東京アートシーンに足を運んだ。(略)・・・「VOCA展」・・・「照屋勇賢展」・・・「六本木クロッシング2010展」(森美術館)・・・・「森村泰昌展」・・・(略)アメリカナイズした戦後の日本、(略)・・・・「天皇メッセージと沖縄」は微小にも触れてない。米軍基地の多くを沖縄に配置し、日米安保と憲法9条が「欺瞞の平和」に染め抜かれている・・・・・・。
真の意味の「友好」とは
美術は歴史の課題にどのようなアプローチが可能か。昨年の薩摩侵攻400年「Install-1609」展は美術ファンとして純粋な発想から企画した。・・・。薩摩の暴力的な誓約書「起請文」・・・・・薩摩への従属に「NO」を突きつけ斬首された謝名親方、・・・主体性の認識は今日でも問われる事だろう。・・・今日の米軍基地をめぐる動き、・・・沖縄の「自己決定権」と「主体性」に通じる同質の問題が内在している。・・・・同企画展は400年の長い時間が過ぎた現在から、その心性の本質に迫る試みであった。・・・・(略)鳩山由紀夫さんの「対等な日米関係」は刺激的だ。・・・・ヤマトの人は沖縄を足で踏みつけている自分に気がつかないのか?分かっていて、分からないふりをしているのか。目の前に対等でない現実がある。・・・・
なぜ沖縄で「遠近を抱えて」か
今年(2009年)は薩摩の琉球侵略支配(1609年)からちょうど400年の節目を迎える。過去の歴史経緯をたどり、琉球(沖縄人)の「心性の在りか」と「主体性の検証」を探る手がかりになれば・・との思いから、企画した。大浦信行作品「遠近を抱えては」日本の天皇制と日本近代の形成の再考を促し、沖縄の近代史を語るとき、外せない作品であると(避けて通れない)位置づけていた・・・・・・GHQマッカーサーと昭和天皇の会見による戦後処理としての「沖縄メッセージ」・・・琉球諸島の米軍統治「25年~50年またはそれ以上の租借」・・・昭和の沖縄処分である。・・・1951年サンフランシスコ講和条約(4.28)・・・軍事植民地化した沖縄・・・。平和憲法九条も虚しい・・・・