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「アトミックサンシャインの中へIn沖縄ー日本国平和憲法第九条下における戦後美術展」が開催中だ。・・・D/マッカーサーは・・1945年から退任する51年まで昭和天皇と11回に及ぶ会見を・・・4回目の会見で、沖縄にとって「差別」と「屈辱」を味わう悲劇的な会話が交わされる。・・・・・沖縄の米軍統治(占領)は「25年~50年、あるいはそれ以上に渡る貸与」という「天皇メッセージ」(秘密文書ー密約)をしたのである。・・・戦後の沖縄選出の国会議員を欠き、敗戦後の人間宣言”をした昭和天皇の政治介入である。・・・米軍統治27年日本へ再併合して37年、巨大化する米軍基地と日本軍自衛隊基地。・・・・・その布石の原点がそこにある。・・・・
400年の時空に潜伏するモノ
豊臣秀吉の朝鮮侵攻、・・秀吉は薩摩を介して琉球国に支援を求めた。しかし琉球はすべての要求に応えなかった。・・「・薩摩は秀吉の朝鮮侵攻の支援を琉球の肩代わりをした・・・その代価を払え」と要求。・・・「それは不当だ!」と応えなかった琉球国。・・・・・それも根拠の一つにして薩摩は琉球国侵略を正当化した。薩摩は「掟十五条」を琉球に突きつけ、従属させた。・・・そこから見えてくるのは、小国ながら対外交易で栄えていた琉球王国を、幕府も薩摩ものどから手がでるほど欲しかったと言うことだろう・・・・・・・。この400年の長い歴史で「沖縄」と言う身体に寄生し続けている「モノ」、・・・言葉にできない麻薬のように「潜伏」するモノは・・・・。
芸術の崇高さ感じる
久しぶりに美術館めぐりのため上京。・・・原美術館・・国立新美術館・・・代官山ヒルサイト・・・東京都庭園美術館・・内容の濃い展示会を観る事ができた。・・照屋勇賢氏のインスタレーション作品がひときわ異彩を放っていた。刺身包丁7本を壁に突き刺し・・・・その柄に沖縄の蝶オオゴマダラの孵化したサナギをつけた「Dawn」(夜明け)の作品はインパクトが強かった。通り魔事件など暴力氾濫する危うい社会を想起させ、「命の尊厳」を浮上させる優れた作品であった。・・・東京都庭園美術館の「舟越桂「夏の邸宅」展見応えのある味わい深いものだった。・・・あの深いまなざしに「美術の力」「芸術の崇高さ」を・・・・。
感覚知性の芸術ワールド
草間彌生のドキュメンタリー映画が沖縄にやってくる。・・・草間のアトリエにカメラが入り密着取材している。草間芸術の根幹となっている強迫観念や「生」と「死」、「愛」と「家族」について語る。・・・・・80歳のおばーチャン(失礼!)が少女のように素直に語り出す口調は「永遠の少女生」の美しさ、愛おしさが溢れ、思わず抱きしめたい衝動に・・・・。29歳で単身でニューヨークへ・・・ベトナム反戦のパフォーマンス・・・70年一時帰国・・・TV出演ハレンチ事件・・・万博ホモセクシャルパレード・・・・皇居前広場ヌードパフォーマンス・・・・過激な活動は有名だ。・・・90年代のバブル経済崩壊後、荒れ果てた地平に強い生命感をみなぎらして登場した草間・・・今や世界のKUSAMAになった・・・・。
琉球が歩んだ歴史刻印
浦添市美術館で美の極・漆五百年「琉球漆器名品展」が開かれた。担当の学芸員・・「このような規模の展示会はこの先、そうあるものではないと。・・・十五世紀から十九世紀、、江戸末期までに作られた琉球漆器の名品の数々。・・・・・薩摩侵攻以後は黒漆螺鈿が多く見られるが、それ以前の琉球王国、万国津梁の交易時代の漆器は朱漆にのびやか・・精緻に描かれたアラビア風の紋様は海のシルクロードを彷彿・・・高い品格を備えたものだった。沖縄の工芸は民芸の枠内で語られてきたが・・・王国時代の名品触れるとき、漆芸は民芸の外にあることは明らかだ。・・・・
美術館学芸員の意地
今月から文化面で美術コラム「視線」をスタート。・・・・昨年11月に開館した県立の美術館・・・「沖縄県立博物館・美術館」名称があやしい。・・財政上の理由から美術館と博物館が合体。・・・・その役割や内容機能が異なる施設を館長を一人置き運営する運びだが・・・・・
独立した館長配置を望む
開館予定の県立美術館が県教育庁によって建設が進められている。県内の美術関係団体や専門の関係者から「基本計画」がゆがめられ、その建設と運営のあり方に多くの問題を含んでいるとして、再検討が指摘されている。・・・・県は財政を理由に博物館と美術館を統合し、一元化した文化施設として建設が・・・・・「基本計画」に基づいた「沖縄県立現代美術館」ならびに「沖縄県立博物館」として独立した施設を・・・・
基本計画を「改ざん」
那覇新都心の中心部の公園の一角に完成近い県立の美術館、当初2000年に「沖縄県立現代美術館」として開館予定だった。が・・・98年建設計画は凍結された。・・・しかし県民の美術館への期待は大きく復帰30周年事業の一つとして建設計画が再開・・・・2007年11月の開館をめどに建設が進んでいる。しかし、95年に策定された「基本計画」から、その運営あり方、内容とも大きくはずれ・・・・・基本計画に定められたコンセプトと明らかな矛盾・・・「改ざん」とも言える重大な問題が発生・・・・。、
復帰30年ー変わらない「貧しさ」
復帰して30年、本土並み、同化、系列化、格差是正、自立、一国二制度、と歩み続けているが、一体沖縄社会は何処へ行こうしているのか・・・・・。1995年の米兵による少女暴行事件に抗議する、8.5万人が集まった県民大会。・・・怒りと叫びが噴出・・・復帰後最も大きな出来事だった。日本の総人口約一億3千万人、その1%130万人が沖縄人だ。・・・さらに全国土の0.6%が沖縄である・・・狭い土地に・・・日米安保条約の下、在日米軍基地の75%が集中・・・・。75%=」1/100という矛盾。・・・ヤマト人の沖縄「差別」以外なにものではない。日常は潜在化し姿を現さない沖縄人の「不満」と「屈辱感」が一気に吹き出した。・・・・そのような歴史経験の中で沖縄の美術シーンは・・・
計画変更は議論公開を
沖縄県立美術館建設計画・・・・・県は建設費の確保が困難として、規模を縮小し建設計画を進めるかまえだ。・・・・だが、美術館のコンセプト(柱)ー基本理念の変更があってはならない。ましてや・・行政内部の密室で決めてはいけないはずだ。・・・・公開シンポジウムを開くなり・・・議論を深める必要がある。・・・県内には県立芸術大学がある・・・・社会における美術の役割や美術表現の可能性が研究され・・学ばれている。・・しかし公の美術館が無いために、先達の優れた作品を常設し後世に語り継ぐべき場がない・・・・