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現代美術の有名画廊としてその名を欲しいままにした、地元ソーホーのレオ・キャステリやメアリー・ブーンが参加してないのが気がかりである・・・・この経済不況・・こんなに惨たんたる状況とは・・予想していなかった。東京のアートエキスポが今年で6年目を迎える・・・横浜のアートフェアは不況のあおりで4年目の今年中止が決定した・・・・美術マーケットの不況は世界的だ・・・・
国際美術市場に登場
絵画は表は芸術で裏は経済である・・・純粋な芸術を愛好する者にとって好ましくない一面かも知れない。・・しかし高い次元で芸術表現がされ、数少ない価値ある「モノ」であれば・・・当然、経済行為がつきまとうはずである。マンガみたいな絵(リキテンシュタイン作品ー泣く女)がどうして6億円もするんだ?、東京都の購入で、都議会が大騒ぎがあったのは記憶に新しい・・・。何の変哲もないと思わせる絵画がウン億円と値が付くから美術はおもしろくてコワイ・・・。
初めて本格的なメス
沖縄の戦後美術を検証する今回の展示会、・・・5年後に開館を予定している「沖縄県立現代美術館」にちなんだ前準備とも言える企画展である。・・・今年は戦後50年の節目にあたり、時代背景を考えればその社会的意義は大きいだろう。・・・県当局の美術文化行政は手薄で遅れがちとの声が聞かれる中で、自前の美術に本格的なメスが入れられる。おそらく沖縄の美術史上初めてのことだ。戦後50年沖縄の美術はどのような道を歩んできたか・・・・モダニズムの概念を通して探る試みである。・・・・・
注目集める独自の文化
日本化イコール沖縄の近代化ではない・・・・・日本の近代化とは切り離して考えるべきである。固有性と近代の普遍性がリンケージされた意識である。・・・日本は明治の西洋化(近代化)から日本的モダニズムの道を歩んだ。モダニズムを構築してゆく中で、構造的な限界性が今問われているのである。・・・・この構造的限界性は美術に限らず、政治、経済、文化のあらゆる面に問われている。日本的モダニズムの閉塞である。県立美術館を考えるシンポジウムでは「アウト・オブ・ジャパンそしてアジアへ・・・」「沖縄にこだわりながら、沖縄の枠組みを超えていく・・・」・・とある。
独自文化への目覚め
日本復帰して22年が過ぎた。本土並み、一体化、格差是正、の言葉もなつかしい響きだ。産業振興、本土資本との系列化、リゾート開発、経済自立と、経済の季節の80年代だった。・・・しかし現実は思うように進展がなく依然としてとして「格差」あり、基地収入と公共工事に依存する経済は変わらない。農業の第一次産業と第二次産業の立ち遅れが目立つ・・・・大きな政治手腕が待たれるところだ。・・・その一方で、唯一力をつけたのが独自の「琉球・沖縄文化」であった。・・・「日本人になろうとしてなれなかったウチナーンチュ」と言ったのは、前県知事の西銘さん・・・。その名言に象徴されるように、80年代半ばからぼくたちの何かが変わった。・・・
大国の権力にほんろう
沖縄と日本の歴史的、政治的関係において、ぼくたちのこの地は主体性とアイデンティティーを持ち得なかった。明治以降の強力な同化政策と皇民化教育・・・・太平洋戦争・・戦後・27年間の不当な米軍統治・・・・、近代のチョコレートが横文字の大量の物資とともに配られ・・・戦果で傷ついた身体をいやすだけだった。不当を糾弾する拳のほこ先が間違っていた。金網の向こう側の米軍ではなかったのだ。糾弾すべきはそれを強要し、容認した日本だったのである。・・・今日のように情報網が発達していれば、国際政治の舞台で、日本の身勝手な「沖縄処分」を国際社会も許さなかったはずだ。・・・・・・
アンフェアーで彩られた歴史
ぼくたちにとって、5.15とは・・今年も何事もなかったかのようにやってくる。5.15の意味は確実に変容している。祖国復帰から日本復帰へそして沖縄返還という微妙なニュアンスの変化のように時と共に社会も変化した。・・・沖縄が返還される前の1960年代「祖国復帰運動」が年から年中いたる所で展開されていた。しかし、誰が「沖縄返還」と言わず「祖国復帰」と言い出したのだろう・・・・島じゅうが「祖国」「祖国」と泣きわめく赤子のように騒がしかった。・・・・ぼくたち日本人?・・・戦後生まれのぼくたちは祖国を知らなかった・・・どんな顔してどんな性格をしているか知らなかった。・・・しかし今、「日本」も「祖国」も疑わしくなった・・・。「祖国」は幻想でしかなかったのか・・・・「母と子」に見立てるしか術はなかったのか?ぼくたちは「母」が冷たかったことを知っている。・・日本国を守るためにダイナマイトを抱えざるを得ない「子」にされた。・・・
質の高い作品収集を
美術館をオープンさせるには10年以上前から作品の収集が行われるのが普通だ・・・・しかし沖縄県の場合はコレクションがほとんど無いに等しい。・・・開館まであと7年・・・実質5年程しかない期間にどれほどの収集が可能か・・・・館より作品収集が先だとの声もあるが・・・。急ぐあまり基本コンセプトやポリシーからはずれた作品収集をしてはならない。・・・美術と地域、美術は人々の歴史、歴史は美術に刻まれる。・・・また美術は未来も暗示する・・・我々の立っている足下のからコレクションを・・・
幅広い視野で収集を
いよいよ沖縄にも県立美術館ができる。1997年に着工し、2000年にオープンの予定。・・・これまでの道のりを思うと「やっと動き出したか」の感ははぬぐえない。美術館の必要性は20年以上も前から関係者や美術ファンの間で叫ばれた。美術館は何と言っても一番重要なものはコレクション(収集)。・・コレクションによってその美術館の性格が決まるといってよい。・・・21世紀を見据えた個性ある美術館であって欲しい。・・・
琉球美人画で一世を風び
琉球美人画家の柳光観が世を去った・・・大正元年(1912年)首里生まれ、戦前の京都熊野美術学校で日本画を学ぶ。・・日本画の古典的な技法(大和絵)を沖縄に持ち帰った・・・当時沖縄画壇は油絵(洋画)の作家が圧倒的に多く・・・静かに身を引くように展示会から姿を消した。1988年に開かれた画廊沖縄での個展は光観の最初で最後の個展となった・・・・。味わい深く・・気品に満ちあふれた作品・・・柳芸術の奥深さに酔いしれた。古きよき時代の豊かさを一枚の絵に込めて・・・