1992年11月26日~12月6月

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美術評論家はアーティストの意志の世界と評する。絵に表現されている疑問とか、恐れ、平静さという画家の生命内部を実際に評論家の直感で容易に言葉で表現することができるだろうか。幸地は、沖縄という禁欲の象徴的な単色性とその空間を描くという事ではなく、反対に彼の仕事を抑えきれないほど個性的な表現としての繁殖と進入を正確に描き込む。サン・テグジュベリから借用して、“夜の飛翔”という絵のタイトルがある。そこに幸地は都市のきらめきやそれ等の地形と荒れ狂うものを前に、無限性と充満性を混ぜとらえた眩最を強調しているように思える。機会や刻み目のデコード、梯子、パイプ等の近くに、そして彫刻においては量が鮮明な形によって判じられ、夜の風変わりな公園を現出している。さらにミロのようにユートピアの都市のひしめきあった世界の中によくみられる寓話的な動物が押し込まれたように近代のそれを呼び起こしてくれる。不安よりもより遊戯的な幸地の天体はイメージを与えてくれる。このように全てが音のそれを先取りするために単純な視覚現象のりこえ、達せられている。これは現在のための新しい祭式の聴覚的変化とあまりにもピッタリと同調する作品のエネルギーを保っているのである。それぞれの絵は形体の実験室であり、宇宙とそれを所有する者の区別を全くつくらない。傾斜や狡猾な二重の印は深さの効果を強くするために、アーティストによって使われた重ね合わせをさらに使っている。また同じように生命力と開花した世界の強力な食道楽ともいうべき大胆なピンク、黄色、青の色彩の実験室でもある。幸地学は、人道主義の証明者として私達にこのように理解させてくれる。この38才の人道主義者はさらに多くの事を伝えていくだろう。                        
                               CIMAISE(シメーズ)現代美術雑誌編集長 マルチンヌ・アルノー